by ばかぼん父
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2005年 03月 04日
「百聞は一見にしかず」という言葉がある。
英語では To see is to believe. 「目で見る事が信じる事」というわけだ。 私自身も、複雑な実験系の結果や数値化されたものより、 蛍光顕微鏡で見た事の方を信じるし、写真よりも動画の方が さらにわかりやすく信じられる。 最近のCG技術は大変優れており、思わず見とれるような「科学番組」も たくさんできてきた。 「進化」についての番組では、魚が上陸するときにヒレを足に変え、 キリンは高いところの草を食べるために首を伸ばし、だんだんと首が延びる。 昆虫も外敵に見つからないよう姿を変えてゆく。 まるで環境に適応するように、生物が自分で姿を変えていっているかのような、 ある意味「とてもわかりやすい」動画として見せられる。 環境の中で、生物が、生まれてから手にいれた特徴(形質)を獲得形質と呼ぶが、 生物が、あたかも獲得形質を蓄積していくことが、進化であるかのようだ。 実は「これはあり得ない現象」だ。 百歩譲って、キリンの首が実際にだんだん延びたとしても、 首を作っている骨が延びた情報が、子孫の元であるオスなら精子、 メスなら卵子の「生殖細胞」のDNAの配列をそれに合わせて変える仕組みがない。 なので、変化は先に生殖細胞に起きているはずだし、同じ理由で その変化は、環境に適応するような都合の良いものだけが起こるわけではない。 「進化は合目的に起こる」という表現は間違いで、長い時間の間に、 様々な変化をしている中から、偶然、環境に適応した種が「結果として」 その場所で繁栄している、ということになる。 数多い変化の中から、(人から見て)環境に適応して「合目的」に見えるものだけを、 (つまり都合の良いものを)例として示していることになる。 けれども進化の仕組みが、本当に偶然による「突然変異」と「自然淘汰」だけかどうかは、解らない。というよりも、もしそうならその「偶然」が、偶然とは思えないほど、良くできている。 私はよく知らないのだが、最近では、ネオ・ダーウィニズムという「総合説」が主流らしい。 ただ、こんな理屈っぽい「番組作り」をすると、喜ぶのは私を含めたマニアな 人だけで、とっつきにくい、面白くない番組になってしまうのは間違いないだろう。
by bakabon_chichi
| 2005-03-04 19:25
| はぐれ研究員の独り言
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