by ばかぼん父
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2004年 11月 18日
昨年、息子の通う小学校は「参観日」を土曜日に設定し、親父にも見せてくれた。各学年2クラスずつなので、その比較はとても残酷なものだった。授業については言うまでもなく、展示されている工作や絵も、到底同じ学校の同じ学年だと誰も信じられないくらい、「ガラクタ」と「作品」というぐらいクラス全体で差があった。
ただ、隣のクラスで展示されている絵は、「縦笛を吹いている友人」というテーマだったが、全員全く同じ構図、同じ大きさで「管理されている」という印象を受け、正直言って「これはこれでどうよ?」とその時は思った。 ところが、息子が通塾を始めてから、私も勉強を見てきたが「(自分の)子供というのは、驚くほど(「考える」ということを含めて)何も知らないものだ」と痛感した。 大村はま先生の言葉を「こんな授業をして欲しい」Part.2で紹介した「作文指導」の森川先生が引用したものが、”書きたくてたまらない子”が育つ作文指導の中で紹介されている。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 戦後の教育で最大の失敗は、教師が教えなくなったことだと、私はつくづく思っています。「子どもの個性・主体性を尊重する」ということばが、「教える」ことを背後に押しやっていったようです。(中略森川) 本当に特殊な才能というものは、私たち教師が三年や五年いじったからといって、壊れはしないでしょう。それに、ほとんどの人は天才ではありません。教師が教えてくれること、それによって伸びることを心の底から待っているのです。 「灯し続けることば」(小学館) ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ そうか!教えなきゃできるようにならないんだ。 私の常識や昔の自分の尺度を捨て、「息子がわからないことを一つ一つ教えていかなければ、できるようにならない」とわかってからは、無駄に「がっかり」することもなくなった。 上記の隣のクラス全員の同じような絵も、「個性を殺している」わけではなく、構図の取り方を教える段階の一つであると理解できる。 「我が子をお任せしたくない」と思う教師は、私以外のブログにも度々登場されており、「独りよがり」「子供の様子に無頓着」といった特徴があるように思う。 教師が相互に授業を見学して意見を述べあうことが無ければ、この「自己陶酔型」の教師は、定年まで向上しないだろう。 そう、「教師」も教えられなきゃできるようにならないのかも知れない。 これって、とっても危険な事だと思う。 なぜなら、自ら「もっと子供を喰いつかせたい」「もっとうまくわからせたい」と授業を「磨く」ことに対して「自学自習」「自調自考」することが出来ない人間に、子供が「自学自習」できるように教育できるわけがないと思うから。 (税金を払っているので)保護者は校長を含めて公立の教員の雇い主。 雇い主に満足してもらえ、感謝されるような仕事をしてこそ「プロ」ってものだと思う。
by bakabon_chichi
| 2004-11-18 18:52
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