by ばかぼん父
カレンダー
|
2005年 05月 19日
日本PTA全国協議会のアンケートによる、保護者の意識調査の結果が新聞に出ていた。
毎日新聞「総合学習: 保護者の5割が評価 PTAアンケ」 読売新聞「小中の週5日制 親の4割が否定派」 朝日新聞「『学力低下心配』76% 5日制否定派増加 PTA調査」 同じ資料をもとに書いている記事だが、資料自体が「さもありなん」という(面白くない?)結果なもので、かえって切り口が三者三様に分かれていて面白い。 「毎日」は、見出しの通り、総合学習が評価されていることと、5日制、学力低下をサラっと触れているが、見出しと最初に持って来た、「総合学習」が認知されている程、評価されているということに力点がおかれている。学力低下が心配な親は、家で勉強を見たり、塾や通信教育でカバーしているようだ、という論調。 「読売」と、「朝日」は、週5日制へ否定的であることを見出しにしている。 「朝日」はカラーの円グラフも使って、「保護者は学力低下を心配し、週5日制の見直しを要求している」かのようだ。最後に総合学習の評価は、事実を述べているだけ。 「読売」は、学力低下と週5日制のお話と、他2紙では取り上げていな子供達のインターネット利用状況や、見せたくないTV番組の結果が出ていたかわりに、 「総合学習」には、一切触れられていない。 新聞社にとってはそれぞれの「読者が知りたがっている(と新聞社が思っている)事」や「新聞社が伝えたい事」の相違があるということを示している。 これは別に悪い事ではないし、当たり前のことだ。 しかし、同じ情報をインプットしても、人によってアウトプットが異なり、 伝わる印象が、アウトプットする人によって違ってくるということは、 受け取り側の方で、認識しておく必要がある。 アンケート内容については、ほぼ半々なので、「総合学習」が上手く行っているところもあれば、そうでないところもあるということでしょう。 #
by bakabon_chichi
| 2005-05-19 17:38
| 雑記帳
2005年 05月 17日
学校の安全対策どう図る? 「校門施錠」に現場は戸惑い asahi.com 5/16
学校の安全対策が懸案となっている昨今、文科省が3月末に「校門を原則的に施錠する」よう各教育委員会に通知したそうだ。 校門も柵もない「地域住民に開かれた」千葉の小学校では、住民にアンケートをとって、塀で囲うかどうかをアンケートをとったところ、「囲わない」今まで通りが多数を占めた。そのため民間交番の設置や、「学校安全支援ボランティア」の募集をするそうだ。 一方、校門を閉めたが、閂をもって錠として、実際は自由に出入りできている学校もあった。来客者が来た時に、教師が仕事の手を止めて、わざわざ随分先の校門まで、開けに行かなければならないからだそうだ。 うちの息子の通う小学校は、フェンスで囲われている。しかし、校門を施錠しようが、乗り越えようと思えば、四方八方どこからでも乗り越えられる。 賊(この表現は古いか?)を防ぐには、刑務所並みの高い塀が必要であって、 校門の施錠が、安全を守ることにどれほどの影響があるだろうか? 最初に書いた、柵も校門もない、住民も校庭を散歩しているような学校の方が、不審者に目端が利くのではないだろうか? いろいろな規則やガイダンスが通知されるが、それらは、それぞれ「本来の目的」があって、なされているはずだ。目的が達成されれば、その「通知」の通りでなくても良いはずだし、目的が達成されなければ、規則を守っていても意味がない。 「規則を守ること」が「目的」ではないはずだ。 #
by bakabon_chichi
| 2005-05-17 17:11
| ちょっと社会派
2005年 05月 11日
教育基本法改正案のなかに、「郷土と国を愛し、または、大切にし(公明党案)」と言った文言を盛り込むことになったようだ。
「国を愛する」盛り込む 改正教育基本法で文科省が素案 asahi.com 5月11日 「国を愛し」も「国を大切にし」も、大いに違和感がある。 「愛国無罪」という名の下で、暴力行為を正当化するような国と 同じレベルのようで、好きになれない考え方だ。 「国を愛するものだ」ということを、教えなければならないものだろうか。 「愛す」という言葉を使うなら、 私は「国民から愛されるような国」にして行く事が政治だと思う。 自分たちが悪い方向へ導いていたとしても、疑問をもたずに「国を愛す」ように 仕込みたいのだろうか? 民主主義国家のはずなんだから、国民みんなで愛する事の出来るような国、 他国からも信頼されるような国へして行こう、という教育を何故できないのか? 「国を愛する事」は強制されるものではないが、内外から愛される国になるようにするには、どうすれば良いかを皆で考え実行していくものである。 と、教えるべきではないだろうか? #
by bakabon_chichi
| 2005-05-11 12:03
| 教育について
2005年 05月 06日
GW中の数少ないイベントとして、4日に恐竜博2005へ行ってきました。
11時20分頃に着きましたが、公園内に入場待ちの行列が何重にもできていて「2時間40待ち」。元々渋滞嫌い行列嫌いなんですが、出直す都合もつかないので、仕方なく待つ事に。 でも、天気はまさに五月晴れ。木陰はとても快適だったので、さほど苦痛ではありませんでした。 会場内も当然大混雑でしたが、展示はとても面白かった。進化の系統樹を辿りながら、最近の知見(2004年にNatureに発表されたT-Rex の成長曲線など)も盛り込まれていて、大人も充分楽しめました。 PR的には、巨大化したT-rex のスーが話題の中心になっているけれど、現代に鳥類として生き残ったのは、羽毛をもった小柄な種類が祖先であるということが、受け入れやすいストーリーに構成されてました。 もうひとつ、受けた印象として、来ているお客さんも単なるイベントとしてスーを見に来たというより、知的好奇心を満たそうという方々が多いように思いました。行った時期は確かに違いますが、幕張メッセでの恐竜博2002(セイモスサウルスが主役)の時とは、随分雰囲気が違っていました。 私もかみさんも、生き物が好きなので、水族館、動物園の類いは、色々出かけています。 以前名古屋港水族館へ行ったときに印象に残ったのは、係員がペンギンの羽の進化についてレクチャーしている時、年配の方々も手を挙げて質問している姿でした。 ここは単なる楽しい水族館というより、やや博物館に近い展示もあるところだからかも知れませんが、地元では、大人が子供に混じって、係員に真剣に質問する姿はお目にかかったことがありません。 照れる事でもないし、知りたければ聞けば良い事なんだけれども、すごく新鮮に感じました。誰でも普通に知的好奇心をもって、行動に移す姿を見せることも教育になっていると思います。 その時、教育に対して「土地柄」という要素がありそうだという印象を持ったことを思い出しました。 だから、人を育てる「環境」って大事だと思うわけです。 #
by bakabon_chichi
| 2005-05-06 12:15
| 雑記帳
2005年 05月 02日
子供の理科教育への不安が話題になる昨今だが、大人も既にひどい事になっているらしい。
科学常識このぐらいは--目安作り、文科省乗り出す YOMIURI ON LINE という記事がでていた。 どうやら1999〜2001年に世界17カ国の学術機関が連携して、18歳以上を対象に、11問の「科学分野の常識○×クイズ」を行ったところ、正解率は54%で13位だったらしい。 「あのアメリカですら63%で5位なのに」だ。約1問分の差があったことになる。 記事中に問題が掲載されていたが、その3問目。 〈3〉我々が呼吸に使う酸素は植物から作られた この答えが○になっていた。 おいおい、違うでしょ? 酸素は、植物が光合成を行う時に作り出すものだ。 問題文を読むと、「植物が酸素の材料になっている」と読むのが普通だろう。 科学常識を問いたければ、 「我々が呼吸に使う酸素は植物によって作られた」だろう。 誰が訳し、校正したのか知らないが、学術機関の関係者の中には、 日本語がかなり不自由か科学常識の無い人しか、いなかったようだ。 確かに、日本の大人の科学常識は、危機的だと思える。 ----------------------------------------------------------------- この記事に「5号館のつぶやき」さんが、TBしてくださいました。 どうやら、このような問題だったと言っているのは、読売の記事だけであり、 政策研ニュースでは、 「我々が呼吸に使う酸素は植物が作ったものである」と記載してあるらしい。 学術機関の関係者の方にはお詫びいたします。 そして、日本語がかなり不自由か科学常識の無い人しか、いなかったのは、読売新聞のこの記事の関係者だったと、訂正いたします。 追伸:ヨミウリの記事だけではなかったそうです。文科省の役人にも、日本語がかなり不自由か科学常識の無い人がいるようです。 #
by bakabon_chichi
| 2005-05-02 18:20
| ちょっと社会派
|
ファン申請 |
||