ばかぼん父の世迷い言
2007-02-20T09:38:43+09:00
bakabon_chichi
小5息子のハイパーチャレンジ校への合格を狙う「にわか教育親父」の、中学受験への挑戦を通しての雑感。
Excite Blog
ブログを引っ越します
http://bakabonchi.exblog.jp/6483759/
2007-02-15T12:46:00+09:00
2007-02-20T09:38:43+09:00
2007-02-15T13:49:09+09:00
bakabon_chichi
我が家の中学受験
ことの顛末は、
晴れて中高一貫生(の父)
で書いて行きます。]]>
がんの5年後生存率の意味
http://bakabonchi.exblog.jp/2859231/
2005-06-02T19:19:59+09:00
2005-06-03T13:00:02+09:00
2005-06-02T19:19:42+09:00
bakabon_chichi
はぐれ研究員の独り言
全国がん(成人病センター)協議会の加盟病院の中で、この「5年後生存率」を調べると、病院間でかなり(13〜20ポイント)の差があることが、記事になっている。
「がんの5年後生存率、専門病院で最大20ポイント差」asahi.com
今回は病院名は公表されていないが、患者さんや家族の方であれば、治療を行なう時に、医師から「説明」を受け、「同意」することが求められます。その時に、その病院のそのがんの5年後生存率を知りたいと言えば、知らせてくれるはずです。納得できなければ転院することも、別の病院の医師の意見を聞く事もできます。
ただ、5年後生存率は、あくまで患者個人ではなく、集団を対象とした統計的なものでしかないので、タチのよくない「がん」や、再発した患者さんを多く引き受けている専門病院は低く出ても仕方がありませんし、記事にもあるように、追跡精度に違いがあると比較できないものです。
5年後生存率って聞くと、治療してから5年間再発しなければ、もう大丈夫と思って良いので、5年に設定してあるのか?と勝手に思っていましたが、6年目に再発他界した友人もいます。
統計的に処理するための区切りでしかありません。たちの悪いがんでは、3年生存率でないと治療効果の差が出ないので、3年で比較することもあるようです。
これって、患者さんにとってどれほどの意味があるのかは疑問ですが、発展途上だということですね。
治癒率だとか、がん細胞完全除去率だとかで、比較できるようになる時代がくることを願っています。]]>
「骨なし牛肉は安全」で、基準は「骨抜き」
http://bakabonchi.exblog.jp/2817766/
2005-05-27T17:54:16+09:00
2005-05-27T17:53:57+09:00
2005-05-27T17:53:57+09:00
bakabon_chichi
ちょっと社会派
大筋合意によると、骨から外した牛肉は、BSE感染牛でなく、脳や脊髄(せきずい)などの特定危険部位に触れていない、などの条件で輸出入を認める。
(以上引用:「骨なし肉は安全」国際機関がBSE基準緩和へ asahi.com)
骨なし肉の輸出入をほぼ無条件で認める内容だったところから、修正されたものが上記のものらしい。
欧米は「今の基準で発症しない」から「安全である」といっている。
日本は「検査している」から「安全である」と大衆は思わされていたし、事実そこにしか国産と輸入肉の違いが無い。
そう簡単には「発症」しない事は事実なので、この条件に対して「まだ危険である」と相手を納得させる論理を組み立てられるとは思えません。
ただ、この「BSEでない牛」「脳や脊髄などの特定危険部位に触れていない」ことを、どうやって証明させるのか?というところが疑問ですが、条件の中に具体的な一線がありません。この条件は、世論を納得させるための飾り言葉でしかなくて、実質的な自由化へ向かう流れは、出来上がっているように感じます。
輸入肉にしても、国内の牛肉にしても、「相手を信用します」というところに
立脚しています。優良で誠実な業者が大部分でしょうが、足元のふらついている牛にも気づかないフリ、月齢を勘違い?してしまう人だって、いないとは限りません。
結局、消費者が自己責任で、アメリカの「信用できる業者を選んで買い付けてくる」と、信用できる輸入業者を、これまた「信じて」食すしかありません。
そして輸入牛肉を食べたい慎重な人は、その信用が裏切られないように、消費者が「牛肉のたどって来た道」に関心を持って購入することで、チェック機構を働かせ続けることになります。
しかし、「骨なし輸入肉」を食して、vCJDになることは絶対ではありませんが、まずありません。
なので、食肉管理自体が、厳しすぎたところから弛み、さらに、だんだん杜撰になって行き、悪徳業者の比率が高まる可能性の方が心配です。]]>
文系、理系と「考えない」系
http://bakabonchi.exblog.jp/2810899/
2005-05-26T18:04:04+09:00
2005-05-26T18:03:45+09:00
2005-05-26T18:03:45+09:00
bakabon_chichi
教育について
理系と文系の壁といった視点で記事が書かれているが、私は、まず理系、文系というくくり自体に疑問がある。
小説家やコピーライターは、創作する芸術家に近いセンス、学者は証拠をもって自説を世に問うわけで、思考経路は文系も理系もさほど変わらない。通訳、翻訳の語学系、ジャーナリスト系、法律系にしろ、それぞれの職種にとって、それぞれに重要なスキルを求められています。生命科学系といっても生物を学んだ者と医者でも考え方が全く違います。
何かでくくるのなら、物事について「自分の頭で考える」系と「考えない」系ではないでしょうか?指示待ち族は文理問わずに「考えない」系です。理系にも「考えない」系はいますが、どちらかと言えば、文系の方に「考えない」系が流れやすいのではないでしょうか?
今回の「理系白書'05: 第2部文理分け教育を問う/6 「私立文系」の不安」の記事中で「私大文系」とくくられた、科学常識に無知な方達は、知らなかったというよりも、目の前で起こっている自然現象に全く興味が起きないということでしょう。ということは、文系だからというより「考えない」系です。
残念ながら「考えない」系を大量に作って来たのが、日本の教育と言えます。
この「考えない」系に科学知識を教えれば解決するでしょうか?
そもそも「理科離れ」ということや、「科学に興味をもたない」ということが、
キーワードで、嘆かわしいと語られているが、「考えない」ことは、「科学」だけではなく、「政治」や「国際問題」「環境問題」についても同様ではないだろうか?
理系で喰っているものとしては、同じ世界に後進が大勢育って欲しいと思うが、日本の将来を考えると「考えない」系を減らすことが急務だと思う。
確かに理系には「自分で考えられる」人が多い。それは物事を「理解しようとし、疑問をもって、考える事」をする人間が、子供の時に最初に触れるのが、目に見える「自然現象」だからであって、文系が、考えなくてもよいわけではりません。
他人の話を鵜呑みにしないで「理解しようとし、疑問をもち、自分の頭で考える事」が出来る人は、文理に関わらず大勢います。
知識については、誰でも知らない事があるのは当たり前。科学に限らず知識は知っている人から聞けば良いことです。でも、疑問をもてるかどうか、知りたいと思うかどうかは、個人にかかっています。
子供の好奇心を刺激し、育て伸ばしていくような教育を(失敗した「ゆとり教育」か「?)理念通りに行える教育者をできるかぎり育成することが、抜本的な解決策になるのではないでしょうか?]]>
まだ無意味な審議をするのか?
http://bakabonchi.exblog.jp/2797002/
2005-05-24T18:08:40+09:00
2005-05-24T18:08:21+09:00
2005-05-24T18:08:21+09:00
bakabon_chichi
ちょっと社会派
厚生労働省、農林水産省の両省は、
(1) BSEの原因物質が蓄積しやすい脳や脊髄などの特定危険部位の除去
(2) BSEの原因物質が蓄積しにくい20ヶ月齢以下の若い牛
を義務づけて輸入再開したいと、食品安全委員会に諮問したらしい。
米・加牛肉の再輸入条件を諮問 厚労・農水省が安全委に asahi.com 5/24
忘れてはいけないキーワードとして、
「全頭検査をしていない牛肉が、この条件で安全かどうかについて、
根強い不信感があること」が上げられている。
まず、この条件には、大衆をごまかそうとしているような表現がある。
それは、(2)の、あたかも「20ヶ月齢以下の若い牛には、BSEの原因物質が蓄積しにくい」という誤解を与えるような書き方だ。
プリスナーのプリオン説が正しければ、若かろうが、年をとろうが、
プリオンが脳まで到達すれば蓄積が始まる。
正しくは、生まれてすぐに食べたエサのなかにプリオンが存在し、
脳に蓄積しつつあったとしても、20月齢以下の牛では、
まだ検出限界以下の量であるというべきだ。
つまり、この時期の牛で検査を行っても無意味であるということになる。
なぜ、こんな表現をするのだろう?
「全頭検査」が完璧ではないイメージを、国民に持たせたくないからというのは、
穿った見方だろうか?
このことは自国の大部分の国民が知らなくても、肉食が文化である欧米では、
当然知っているので、20ヶ月といわず検出限界以下である30ヶ月以下までの牛も、
全頭検査免除したって同じだろう、と言ってくるのだ。
フランスでは30ヶ月以上の牛だけ検査している。
30ヶ月齢以下の牛での検出率のデータを示さない限り、科学的な議論にならない。
もし国が本当に食品の安全を守りたいなら、エサとして肉骨粉や血液を用いていない、
本来の草食動物として飼われた牛しか輸入しません、というべきだ。
そのために、「いつ、どこで生まれた牛で、これまで何を食べて来て、解体場はどこで、その方法で完全に危険部位が除けている、しっかりしたもの」といった輸入基準を出せば良いのです。
実際に、アメリカの牧場の実態を見に行って、安全だと確認できたところからだけ
買い付けて輸入すれば良いのです。
実は国内の牛だって、何を喰わされているかわからないし、キチンと解体されているかどうかもわからない。(法は整備されつつあるが、遵守されているかどうかは、わからない)
キチンとしていなくても問題が浮かんでこない。問題が起きないものだから、杜撰になっていく。トレーサビリティは信頼の生命線のはずだが、その耳輪だって付けかえる輩が出る始末。
なのに、日本は大丈夫だけど、アメリカは駄目と言ってもねえ・・・・
そんなことより、「人為的なBSEを世界的に撲滅するために、
エサの管理を徹底しよう」といった方向へ議論が向かないものだろうか?]]>
同じ情報を手にしても
http://bakabonchi.exblog.jp/2762007/
2005-05-19T17:38:04+09:00
2005-05-20T14:22:31+09:00
2005-05-19T17:37:35+09:00
bakabon_chichi
雑記帳
毎日新聞「総合学習: 保護者の5割が評価 PTAアンケ」
読売新聞「小中の週5日制 親の4割が否定派」
朝日新聞「『学力低下心配』76% 5日制否定派増加 PTA調査」
同じ資料をもとに書いている記事だが、資料自体が「さもありなん」という(面白くない?)結果なもので、かえって切り口が三者三様に分かれていて面白い。
「毎日」は、見出しの通り、総合学習が評価されていることと、5日制、学力低下をサラっと触れているが、見出しと最初に持って来た、「総合学習」が認知されている程、評価されているということに力点がおかれている。学力低下が心配な親は、家で勉強を見たり、塾や通信教育でカバーしているようだ、という論調。
「読売」と、「朝日」は、週5日制へ否定的であることを見出しにしている。
「朝日」はカラーの円グラフも使って、「保護者は学力低下を心配し、週5日制の見直しを要求している」かのようだ。最後に総合学習の評価は、事実を述べているだけ。
「読売」は、学力低下と週5日制のお話と、他2紙では取り上げていな子供達のインターネット利用状況や、見せたくないTV番組の結果が出ていたかわりに、
「総合学習」には、一切触れられていない。
新聞社にとってはそれぞれの「読者が知りたがっている(と新聞社が思っている)事」や「新聞社が伝えたい事」の相違があるということを示している。
これは別に悪い事ではないし、当たり前のことだ。
しかし、同じ情報をインプットしても、人によってアウトプットが異なり、
伝わる印象が、アウトプットする人によって違ってくるということは、
受け取り側の方で、認識しておく必要がある。
アンケート内容については、ほぼ半々なので、「総合学習」が上手く行っているところもあれば、そうでないところもあるということでしょう。]]>
「規則を守ること」と、目的を達すること
http://bakabonchi.exblog.jp/2747136/
2005-05-17T17:11:27+09:00
2005-05-17T17:10:57+09:00
2005-05-17T17:10:57+09:00
bakabon_chichi
ちょっと社会派
学校の安全対策が懸案となっている昨今、文科省が3月末に「校門を原則的に施錠する」よう各教育委員会に通知したそうだ。
校門も柵もない「地域住民に開かれた」千葉の小学校では、住民にアンケートをとって、塀で囲うかどうかをアンケートをとったところ、「囲わない」今まで通りが多数を占めた。そのため民間交番の設置や、「学校安全支援ボランティア」の募集をするそうだ。
一方、校門を閉めたが、閂をもって錠として、実際は自由に出入りできている学校もあった。来客者が来た時に、教師が仕事の手を止めて、わざわざ随分先の校門まで、開けに行かなければならないからだそうだ。
うちの息子の通う小学校は、フェンスで囲われている。しかし、校門を施錠しようが、乗り越えようと思えば、四方八方どこからでも乗り越えられる。
賊(この表現は古いか?)を防ぐには、刑務所並みの高い塀が必要であって、
校門の施錠が、安全を守ることにどれほどの影響があるだろうか?
最初に書いた、柵も校門もない、住民も校庭を散歩しているような学校の方が、不審者に目端が利くのではないだろうか?
いろいろな規則やガイダンスが通知されるが、それらは、それぞれ「本来の目的」があって、なされているはずだ。目的が達成されれば、その「通知」の通りでなくても良いはずだし、目的が達成されなければ、規則を守っていても意味がない。
「規則を守ること」が「目的」ではないはずだ。]]>
国って愛するもの?
http://bakabonchi.exblog.jp/2703401/
2005-05-11T12:03:21+09:00
2005-05-17T17:08:59+09:00
2005-05-11T12:02:49+09:00
bakabon_chichi
教育について
「国を愛する」盛り込む 改正教育基本法で文科省が素案 asahi.com 5月11日
「国を愛し」も「国を大切にし」も、大いに違和感がある。
「愛国無罪」という名の下で、暴力行為を正当化するような国と
同じレベルのようで、好きになれない考え方だ。
「国を愛するものだ」ということを、教えなければならないものだろうか。
「愛す」という言葉を使うなら、
私は「国民から愛されるような国」にして行く事が政治だと思う。
自分たちが悪い方向へ導いていたとしても、疑問をもたずに「国を愛す」ように
仕込みたいのだろうか?
民主主義国家のはずなんだから、国民みんなで愛する事の出来るような国、
他国からも信頼されるような国へして行こう、という教育を何故できないのか?
「国を愛する事」は強制されるものではないが、内外から愛される国になるようにするには、どうすれば良いかを皆で考え実行していくものである。
と、教えるべきではないだろうか?]]>
GWに「恐竜博2005」へ行った
http://bakabonchi.exblog.jp/2666846/
2005-05-06T12:15:33+09:00
2005-05-06T16:35:30+09:00
2005-05-06T12:14:59+09:00
bakabon_chichi
雑記帳
11時20分頃に着きましたが、公園内に入場待ちの行列が何重にもできていて「2時間40待ち」。元々渋滞嫌い行列嫌いなんですが、出直す都合もつかないので、仕方なく待つ事に。
でも、天気はまさに五月晴れ。木陰はとても快適だったので、さほど苦痛ではありませんでした。
会場内も当然大混雑でしたが、展示はとても面白かった。進化の系統樹を辿りながら、最近の知見(2004年にNatureに発表されたT-Rex の成長曲線など)も盛り込まれていて、大人も充分楽しめました。
PR的には、巨大化したT-rex のスーが話題の中心になっているけれど、現代に鳥類として生き残ったのは、羽毛をもった小柄な種類が祖先であるということが、受け入れやすいストーリーに構成されてました。
もうひとつ、受けた印象として、来ているお客さんも単なるイベントとしてスーを見に来たというより、知的好奇心を満たそうという方々が多いように思いました。行った時期は確かに違いますが、幕張メッセでの恐竜博2002(セイモスサウルスが主役)の時とは、随分雰囲気が違っていました。
私もかみさんも、生き物が好きなので、水族館、動物園の類いは、色々出かけています。
以前名古屋港水族館へ行ったときに印象に残ったのは、係員がペンギンの羽の進化についてレクチャーしている時、年配の方々も手を挙げて質問している姿でした。
ここは単なる楽しい水族館というより、やや博物館に近い展示もあるところだからかも知れませんが、地元では、大人が子供に混じって、係員に真剣に質問する姿はお目にかかったことがありません。
照れる事でもないし、知りたければ聞けば良い事なんだけれども、すごく新鮮に感じました。誰でも普通に知的好奇心をもって、行動に移す姿を見せることも教育になっていると思います。
その時、教育に対して「土地柄」という要素がありそうだという印象を持ったことを思い出しました。
だから、人を育てる「環境」って大事だと思うわけです。]]>
科学の常識○×クイズ
http://bakabonchi.exblog.jp/2640531/
2005-05-02T18:20:42+09:00
2005-05-08T12:54:49+09:00
2005-05-02T18:20:07+09:00
bakabon_chichi
ちょっと社会派
科学常識このぐらいは--目安作り、文科省乗り出す YOMIURI ON LINE という記事がでていた。
どうやら1999〜2001年に世界17カ国の学術機関が連携して、18歳以上を対象に、11問の「科学分野の常識○×クイズ」を行ったところ、正解率は54%で13位だったらしい。
「あのアメリカですら63%で5位なのに」だ。約1問分の差があったことになる。
記事中に問題が掲載されていたが、その3問目。
〈3〉我々が呼吸に使う酸素は植物から作られた
この答えが○になっていた。
おいおい、違うでしょ?
酸素は、植物が光合成を行う時に作り出すものだ。
問題文を読むと、「植物が酸素の材料になっている」と読むのが普通だろう。
科学常識を問いたければ、
「我々が呼吸に使う酸素は植物によって作られた」だろう。
誰が訳し、校正したのか知らないが、学術機関の関係者の中には、
日本語がかなり不自由か科学常識の無い人しか、いなかったようだ。
確かに、日本の大人の科学常識は、危機的だと思える。
-----------------------------------------------------------------
この記事に「5号館のつぶやき」さんが、TBしてくださいました。
どうやら、このような問題だったと言っているのは、読売の記事だけであり、
政策研ニュースでは、
「我々が呼吸に使う酸素は植物が作ったものである」と記載してあるらしい。
学術機関の関係者の方にはお詫びいたします。
そして、日本語がかなり不自由か科学常識の無い人しか、いなかったのは、読売新聞のこの記事の関係者だったと、訂正いたします。
追伸:ヨミウリの記事だけではなかったそうです。文科省の役人にも、日本語がかなり不自由か科学常識の無い人がいるようです。]]>
夏期講習の案内がやってきた
http://bakabonchi.exblog.jp/2612559/
2005-04-28T18:16:14+09:00
2005-04-28T18:15:40+09:00
2005-04-28T18:15:40+09:00
bakabon_chichi
我が家の中学受験
ちまたでは「5年までの季節講習は必要なし」や「その時間をこれまでの復習に使おう」等の意見が見られる。
特に良い成績を出されている方々に多い意見だ。
息子は、入塾以来、これまでの季節講習は全て受講している。
息子の場合は、これまでのところ役に立っていると思う。
子供には、一度聞くだけで理解できる子もいれば、同じ事を3回聞いて、
やっとおぼろげながら解ってくる子もいる。
前者の場合ならば季節講習の必要は無い。
なぜなら既に解っている事を聞かされる時間がもったいないから。
その時間で、(少ない)解っていないところや、不安なところの復習だけを行い、
余った時間は「楽しい夏休み」を今のうちに満喫しておくのも有効だろう。
残念な事に息子は後者のタイプだ。塾で1回、季節講習で1回、それで残ったところを
親が誤解を解いたり説明したりの、もう1回が必要な場合も多い。
ただ5年は期間が長い分、費用もバカにならない、というよりダメージがでかい。
今年彼は春休みの前半をインフルエンザ(今度はA型)で寝込み、
元気になると同時に春期講習、即、通常授業だった。
世間では学校が休みの時期に、このところ彼にとって「嬉しい事」は起きていない。
息子は「GWぐらい遊びたい。夏休みぐらい遊びたい」と言っている。
来年は絶対無理なので、今年は旅行につれて行ってやりたかったのだが、
諸般の事情で日帰りで我慢してもらうかな。]]>
学力低下の歯止めと、みるか?
http://bakabonchi.exblog.jp/2590720/
2005-04-25T17:58:05+09:00
2005-04-25T22:50:57+09:00
2005-04-25T17:57:30+09:00
bakabon_chichi
教育について
「学力低下に歯止め 小中学生45万人学力調査」2005年4月23日 asahi.com
2001年に行われたものに比較して、正答者の割合が上回るか同程度だった問題が
8割を超えたらしい。
新聞紙上の方では、現場の教師が「前回の批判をもとに、計算等の努力を行ったため」で、「頑張った甲斐があった」という声や、「それが学力だろうか?」という意見も紹介されていた。
教師も必死で頑張ったけれど、家庭で「ゆとり教育」への恐怖心から、
塾へ行く割合が増えた結果かもしれません。
2003年は、先に「学力低下」が大いに話題になった、経済協力開発機構(OECD)の国際的な学習到達度調査(PISA)の2回目が行われたの時でもある。
2000年に出来ていたことが、2003年に出来なくなった(PISAの結果から)。
2001年よりも2003年の方が、できるようになった(学力調査)。
どう考えますか?
まず、測定している「学力」が両者で異なっていることを忘れてはならない。
数問しか問題は掲載されていないけれど、今回の学力調査は「知識量」を問う問題が多かったのではないか?事実、記述問題は伸びていないらしいじゃない。
「知っている」かどうかではなく「理解できている」かどうかを問われたPISAでは、
同時期で低下しているのだ。
今回の「好結果」は、なんとなく「一夜漬けで丸暗記して試験を頑張った」って感じなのかもしれない。
とにかく、次世代の人材(子供達)をどう育てるのか?を、
しっかり考えた教育方針を立てるべきだと思う。
しかし、評価できることもある。
少しではなるが「勉強が好きだ」と答えた子供の割合が増えたそうだ。
ただ年を経るごとにその割合が減って行くことは変わらないけれど。
勉強する事を中学生になっても「楽しいこと」と思い続けられるような「教育」を
目指す事が、学力低下問題の解決のポイントではないだろうか?]]>
「漢文の素読をすべき」だそうだ
http://bakabonchi.exblog.jp/2584692/
2005-04-24T22:02:29+09:00
2005-04-24T22:02:24+09:00
2005-04-24T22:02:24+09:00
bakabon_chichi
教育について
中山文科相へのインタビュー記事がでていた。
その見出しが「詰め込みよりたたき込み」。
「繰り返し、繰り返し、ちゃんと覚えるまで、刷り込め」ということが学習だと考えているらしい。
ご本人は幼少のころから文武両道に秀でた天才肌だったらしいが、
記事を通じて醸し出されているのは、他人を見下しているような空気だ。
まず「自分がやってきたことが絶対正しい」
という信念で動いているらしい。
人より多くの知識を詰め込んだ挙句、
中高生からの「競い合う先に何があるのか?」と言う問いに、
「最近の子どもには、ませたひねくれた態度の子もおるからな」
(朝日新聞、氏岡氏の記事より引用)
としか、答えられないくらいの「思考力」しか持てなかったようだ。
おいおい、日本をおかしくしたのは若者ではないし、
ましてや子供ではない。
そのような社会にしたのは、大人たちだ。
なぜ、誠実に会話ができない?
なぜ、あいての考えを理解しようとできない?
なぜ、相手にわかるように伝えようとしない?
それで国を愛せだの、先人の言うことを聞けだの語るのは、
人として大いに無理がある。
「従順で、疑問を持たない国民を育てたい」だけなのか?
文科相をみていると、彼が信じている「詰め込み教育」にこそ、
問題があったのではないかと思える。
]]>
新任教師が小学校で自殺
http://bakabonchi.exblog.jp/2554465/
2005-04-20T17:36:48+09:00
2005-04-20T17:36:10+09:00
2005-04-20T17:36:10+09:00
bakabon_chichi
ちょっと社会派
報道によれば、その日は初めての授業参観が午後にあり、
その教師は朝6時20分頃には、学校へ来ていたようだ。
想像するに「緊張とプレッシャー」により、ほとんど眠れず、
学校で「予行練習」でもしようと思って、早朝から登校したのだろうか?
ところが、さらに自信がなくなり、発作的に・・・・かい!
なんだかなあ。
考えてみれば、大学出たてで、社会人になったばかリの頃は、
いろいろ失敗し、先輩から注意されながら勉強して行く時期だと思うし、
自分自身を振り返っても「一人前になった」と自信を持ったのは30過ぎだった。
大学出たてで、いきなり一人でクラスの責任を持たされるのは、
確かに大変なプレッシャーだろう。
息子が通う小学校でも、プロとして自分に自信を持っている「隣のクラスの担任」は、
授業参観のあと、後ろで見ていた親に授業に対する意見や感想を聞いたりしていたが、
息子の4年の時の担任は、息子と同じくらいの子供を持つぐらいの年齢だが、
授業参観で見てわかるほど「オドオド」していたらしい。
得手不得手は、だれにでもあるし、最初から完璧な人間なんていない。
しかし、人の忠告や意見を聞く耳さえ持っていれば、そして向上心を持っていれば
人はいくつになっても成長していけるものなんだけどなあ。
憶測ではあるが、「失敗」や「批判されること」が怖くて、
試練から「逃げ出したい」と思ったのだろうか?
この先生自身は、これまで、どのような「教育」を受けてきたのだろう?
何を思って教師を志したのだろう?
やっぱり「なんだかなあ」と思うばかりだ。]]>
写経のような宿題は
http://bakabonchi.exblog.jp/2539174/
2005-04-18T18:23:42+09:00
2005-04-18T18:23:04+09:00
2005-04-18T18:23:04+09:00
bakabon_chichi
我が家の中学受験
宿題については、当然「話し合う」ことはなく、教師の方針を宣言された。
先生曰く「宿題をしっかり出して」という親もいれば、「宿題はいらないから、
学校のことは学校で終わらせて」という親もいる。
なので、間をとって50分程度をやらせたいところ、25分程度で終わる分量にし、さらに「事情」があって、できなかった子供が「こういう理由でできませんでした」と自分で先生に言えば、叱りません」ということだった。
それで出した宿題が、「漢字ドリル」に出ている漢字をノートに縦に一文字一行ずつ書く。ドリルに出ている熟語は一回ずつ書く。それを一学期のうちに二周(2周目は、ドリルに直接書く)ということだった。計算ドリルも一周目はノートに解いて、2周。割り算すれば、毎日漢字1ページ、計算ドリル1ページ程度。
嬉しい宿題ではないが、量的に軽いので、波風を立てることなく受け入れようと思う。
しかし「その漢字をつかった熟語を調べて10こ書いてこい」という宿題なら、
まだ役に立つと思うが、漢字一字を書き連ねるのはセンスも、目的も疑問だ。
「机に向かって、手を動かす」と、ノートが文字で埋まる。
先生に提出し、大きな花丸をもらう。
子供には、それなりに達成感もあり、なんだかやり遂げたような
良い気持ちになるだろう。
小学生が「塾から帰ったら眠くて宿題ができませんでした」と言いにいけるだろうか?「先生に良く思われたい、友達にも良く思われたい」と思うのが当たり前。
うちの息子には、宿題をこなすことで満足してしまう傾向がみえる。
なんだか、たくさん勉強?した「気持ち」になるし、
「今日は疲れたから、もういい」という気分になるようだ。
一心不乱に「写経」をすると、心は落ちつくし、良い気持ちになる。
この宿題にはそれと同じような効果はあるが、それ以外の役には立たない。
心を落ち着けたい大人がやることだ。
子供には、好奇心を刺激することで、楽しい気持ちにさせてやりたいものだ。
脳内モルヒネで良い気持ちになるよりも、たとえ解らないとしても、その子なりに
いろいろ考えを巡らせたほうが、脳細胞は活性化されるのではないだろうか?
やはり、時間の使い方を、家庭で工夫する必要があるということだ。]]>
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