by ばかぼん父
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2005年 03月 02日
今、息子は塾の理科で、植物の体の作りや、光合成を勉強している。
4年次の理科では、グラフの読み方や対照実験の概念ぐらいを教えるぐらいで、 知識としてはサラっとしたものだったが、新5年ともなると、 知識レベルとして、かなり本格化したものを学ばされている。 生物分野は、なじみの少ないモノの名前が多く出てくるので、 暗記モノと思われがちだが、実は一貫した大原則が存在している。 それは「生物の身体は環境に適応するように長い時間をかけて進化してきているから、合目的にできている」に違いないという概念だ。 これはあくまで原則であって、本当のところは生物全てが、 人間の考えている通りかどうかなんて解らないのだが、 確かに合目的に見えるものが多い。 というよりも、人間が「これこれこういう理由で、合目的である」と 解った事にしているような感じだ。 実際は、「合目的」ということは「単細胞生物」と「多細胞生物」では正反対な事もある。 例えば突然変異が起きた時、単細胞生物なら、どんな状態でも、とにかく生き残ることが「合目的」だが、多細胞生物なら、制御できなくなった細胞を排除することの方が「合目的」だ。 しかし「多細胞生物」も、元は「単細胞生物」から進化してきたものなので、 その仕組みがいつ頃出来たのかによって違うので、ややこしいことになる。 そのややこしさが「面白い」のだけれど、 中学受験レベルなら「合目的論」を「伝家の宝刀」に押し通すことで、 わかったことにするような問題が多い。 素直にありのままを見て、どうしてだろうと考えれば、正解になるようにできている。 **************************************** stochinaiさんのブログの、「生物の合目性」でこの記事のトラックバックをしていただきました。 書きたい分野だけどマニアックだからと、あまり気合いをのせずに書いたのですが、 このように読んでいただけて、大変嬉しかった。 「進化」については、また改めて書きたいので、今回は以下のコメントについて、 記事に加筆し(長いので)、こちらからもTBさせていただきました。 「技術的には「素直にありのままを見て、どうしてだろうと考えれば、正解になるようにできている」という現実の試験問題に対する対策もそこそこ事実でしょうから、まずは試験をクリアしてもらってから、その先で生物学を楽しんでもらえれば文句はありません。 でも、やっぱり試験が学問をゆがめていることは否定できませんね。困ったもんだ。」 と、書かれています。 「試験と学問の本質の乖離」は全く同意します。 この記事を書いたのは、塾の解答例が、「あんた、それを生き物に聞いてきたんかい?」と尋ねたい程、決めつけられたものだったのが動機です。 子供相手の塾なので当然なのですが、正直、違和感がありました。 実際、比較的優秀な医学部の大学院生でも、「合目的論」からしかものを見れない人がいます。「そのはずだ」で安心して、その先を考えようとしません。 「素直にありのままを見て、どうしてだろうと考える、それが正解」 ここまでなら、あくまで大学までのテスト対策でしかなくて、学問ならその先に 「その考えが本当に正しいかどうか」をいつも自問し、 「その根拠となる事実」を意識しておく謙虚さが必要だと思っています。 新たな事実が見つかれば、これまでの仮説が、いつでも変わりうるのが「生物学」で、 いつでも新しいからこそ、「面白い」と思っています。
by bakabon_chichi
| 2005-03-02 17:21
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