by ばかぼん父
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2005年 02月 22日
asahi.comに、中山文部科学大臣と、文科省との「ゆとり教育」に対するつばぜり合いが出ていた。
「政治主導の「脱ゆとり」 文科相、教育見直し発言次々」(asahi.com 2/20) どうやら、授業時間復活の教科重視で行きたいらしい。 確かに一理はある。人間、意味も解らないまま覚えることは、子供のうちにしかできない。なので、子供のうちにこそ「知識の詰め込み」を行い、成長してからかつて覚えた事の意味を考える、でも悪くはない。 読み書き計算は、基本の「き」なので、子供のうちにできるようにするのは必要だ。 しかし、それだけでは足らない。「成長してからでも良いから、自分で考えることができるようになる」教育とセットでないと意味がない。 中には、良い師に巡り会ったり、何かをきっかけに「目覚める」場合もあるだろうが、その可能性はかなり低い。 可能性が低いと考える根拠は、「自分で考えることができていない」人間が実際に大臣になっていることだ。 バブルの頃は、何も考えなくても世の中は破綻しなかった。 今、その間の数々の杜撰なやり方のツケが、日本にのしかかっている。 年金、少子化、財政不安・・・ この状態を招いたのは、詰め込み教育で育った暗記とテストの得点は得意な官僚と、歴代政治家の皆様方だ。「詰め込み教育」で、「できる」人間が育っていたとは到底思えないではないか。 今回の国際的な学力検査では、知識量は測定されていない。 ということは、世界的に将来必要だと考えられているのは、「考える力」ではないのか? 現行の「ゆとり教育」では「考える力」はつかなかった。そこまでは良い。 「詰め込み教育」でも「考える力」はつかなかった。←これを忘れている。 お役人と政治家達は、こんなことも考えられないのか?
by bakabon_chichi
| 2005-02-22 17:22
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