by ばかぼん父
カレンダー
|
2005年 02月 01日
中学受験の世界では、R4偏差値や、合格可能性80%ラインなどの表現が
よくみられるが、確率論である統計を、目の前の「個」である我が子に当てはめて、 「まさか!」と思うことには、違和感を通り越して「なぜ、そう思うのか?」と疑問に思う。 統計とは、集団としてみた場合に傾向として見えるものであって、一人を見て その子が80%にはいるか、20%にはいるかは、やってみなければ解らないものだ。 「やってみなければわからない」と書いたが、あくまで純粋に確率論でのお話で、 受験の場合は、そのまま当てはめるわけにはいかない。 R4偏差値とは、その塾の模試における偏差値をとった子供5人のうち4人が、 合格するという目安でしかない。ここで忘れてはいけないのは、 その偏差値の5人のうちひとりが不合格になることと共に、 その不合格は5分の1の抽選でたまたま選ばれる訳ではないということだ。 合否を分けるような必ず何らかの理由があるのではないだろうか。 例えば、未熟児で生まれてすぐに、命に関わるような大手術をすることになったとする。 「低体重児なので、生存確率は30%です。覚悟をしてください」と医者は言う。 (この手の勘違いをしている医者は結構いる) この統計データ自体は、集団を語る時には正しいが、 生きる力のある子とそうでない子をわけるような体重以外の条件は無視し、 単純化したらこの傾向がでたという事にすぎない。 この場合、低体重児が助からないという予測は、30%外れるという危険率 (この例では、生存率だが)を含んでいるということだ。 低体重児でも生きる力のある子は存在しているし、目の前のその子が、そうかもしれない。 模試から判定された合格可能性は、この体重のみから割り出された予想と似ていると思う。実際には、合不合を分けるような、他の要素も存在する。 塾のカリキュラムでは、上記の例で言えば「栄養をつけて体重を増加させましょう」という一般的なことをしてくれる。もちろんこれは体力をつけることにもなっているので、 プラスであるのは間違いない。 しかし不幸にして、その子に別の生きるのに必要な力が足らない場合には、 体重を増やしたけれども残念だったという結果になる。 逆に、体重は足らなくても、生きるための力さえ備わっていれば、10分の3の方に、 入れるのだ。 その必要な何かを見つけてやるのが、子供を一番長く見ている親の役目であり、 見つかったら、何か手を打つのも親の仕事だと思う。 これは勉強だけとは限らない。考え方や精神面にも弱点がある場合もある。 それを見つけることや、弱点を克服することは、簡単なことではないと承知している。 が、その子にあった対処法や折り合いの付け方を模索するのは、親にしかできない。 中学受験は親の受験といわれる所以はそこにあると思っている。 余談ながら、R4ラインというものを実感するには、四谷大塚の入試情報センターの入試結果グラフをお奨めする。四谷大塚の模試のデータのある受験生だけから出されたものだが、合格者と進学者の割合や、模試のデータと、実際の入試問題の乖離具合が、ビジュアルとして見える。きれいな正規分布をとる学校の問題は、模試と傾向が似ていると考えられるし、全体に低くて、だらだらとした山になっている学校は、(四谷の)模試の成績では、予測できない問題傾向だと読める。
by bakabon_chichi
| 2005-02-01 19:36
| 我が家の中学受験
|
ファン申請 |
||