by ばかぼん父
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2004年 12月 20日
「無断転載禁止」としっかりうたっているので、なんとなく引用しなくなっていたが、Yomiuri On Line の「教育」は、署名記事でもあり、他紙より内容が充実していると思う。
今朝のTBSの番組でラサール石井も、紹介していたが睡眠不足で学力低下という陰山英男校長の仮説が掲載されていた。 「学力低下 は、「ゆとり教育」のせいではなく、安いテレビの普及、ファミコン発売以来のゲーム三昧の生活で、睡眠時間が削られ、集中力の低下、疲労などを引き起こしたせいだ」ということらしい。 結論として「学力向上は学校だけでなく、家庭との一緒の作業だ」ということを言いたかったようだ。 「仮説」といっても、士堂小学校の「保護者説明会」での説明なので、 有名小学校まかせにしないよう、保護者への啓蒙というか、「気合いをいれる」といった色合いだ。 規則正しい生活習慣が大切なのは当たり前のこと。 テレビの見過ぎやゲームのやりすぎは、目にも頭にもよくないのも当り前だ。 ゲームは「面白い」ので、子供がハマるのも当然のこと。 中には「考えること」を要求するものもあるので、 百害あって一利なしとは思わないし、ゲームが環境に存在するかぎり、 子供と接点ができるのも仕方がない。 子供にゲームとのつきあい方も学習させればよいことだ。 また、成長途上の子供たちの大切な睡眠時間を削ってまで勉強させるのは 本末転倒だ。成長ホルモンの分泌を促し、背ものばしてやりたいと思う。 さて、この部分だけは引用させて下さいね、読売新聞様。 ココカラ 「自ら学び自ら考えることを重視するのはいいが、読み書き計算をきちんとさせることが忌み嫌われ、子どもが『しんどい』と言ったら、やらせなくなった」と陰山校長。 ココマデ 「重視」なぞ、していないだろう。そう言いながら「教育から手を抜いた」だけだ。 まず、「自学自習」ができるようになるためには、それなりの経験が必要だ。 外で遊ぶにしても、友達付き合いをするにしても、私が子供の頃に 比べ、今のほうが守られ安全な分、経験出来る事柄が減っていると思う。 だから昔は、特別教えられなくても、自然と学んだことが多かった。 生活の中で、私の親の世代は私より多くの経験をしていただろうし、 私は息子より多くの経験をしていた。この生活の中での経験は、 年々減ってきており、そのために息子は驚くほど何も知らない。 「自学自習」ができるようになる前に、子供を突き放してもできるようにならない。 「自学自習」をそれぞれ子供たちができるように、教え育てるのが、 教育だと思うが、違うのか? 「百マス計算」で磨かれているのは「単純な計算力」だけではない。 「一心不乱」という集中した状態になることや、 他人との比較ではなく以前の自分よりできるようになったという 「向上心」のためのガソリンが、時間の短縮というわかりやすい形で 子供にもわかる、という効果があると思っている。 こどもにとっては、この(百マス計算という名の)「遊び」を通して、 他の授業も集中して聞けるようになり、結果としてテストの成績が 上がっているのだろう。 「言われたことを正確に素早くこなせるようになる」だけでは、魅力ある教育とは思えない。この方法は「無気力」から「やる気モード」への過渡期には、有効な方法だと思う。 この陰山校長のお話を強引に「仮説」であるとすると、子供世代の分析は 納得できるが、それを許して睡眠時間を摂らせない親が受けた教育は、 どうだったのだろう? また、教師の質については触れられていないが、時代を通じて不変だったろうか? 「でも」「「しか」教師といわれた時代の連中が大挙して教職に就いたせいで、 子供が「無気力」になっても、必要な対策をとることなく放置し、 「ゆとり教育」とは、教員に「「ゆとり」を与えるものだと勝手に思い込んで 学力低下を招いたのではないだろうか? 「子供が悪い、親のせいだ、教師がわるい」というのは虚しいだけだ。 その時、その時の時代が考え方に影響していた。これはこれで客観的に認識し これから「どうすればよいのか?」「どうするべきなのか?」が大切だ。
by bakabon_chichi
| 2004-12-20 18:39
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